しかし、だからといって手放しで喜んでもいられない。
仕方ないとはいえ、手放しで喜べることではないのだ。
だがその一方で、手放しで喜んでいるようでもなかった。
手放しで喜ぼうとしたところで、不穏な気配を感じた。
手放しで喜べないのは、そういった事情からであった。
手放しで褒めるような言葉に、思わず鼻白んでしまう。
手放しに感嘆を漏らしてしまうのは仕方がないことだった。
母さんは自分が負けたというのに手放しで喜んでくれた。
そこまで手放しに褒められると、俺も流石に恥ずかしい。
そこまで手放しで褒められるのは、慣れていなかった。
あんなに手放しに感心してもらえたのはいつぶりだろうか。
彼女たちはそう言って、俺の勝利を手放しに喜んでくれた。
確かに少し前までの私なら手放しで喜んだに違いない。
だがその過程を考えると手放しに喜べないのも事実である。
きっと、事情を知らない者は手放しで喜ぶに違いない。
こういう時は手放しで褒めてくれそうな気がするのだが。
危険を考えると、手放しに賛成というわけにはいきません。